7月28日、翌日任期満了を迎える舟越さんをインタビューしました。
マルシェやピザ窯づくりなど、様々な活動を通じて、さぬき市の魅力を地域住民のみならず、市外のたくさんの人に届けてきた舟越さん。
活動のモチベーション、行政とのやり取り、これからの目標など、これまでの3年間を振り返り、率直に語っていただきました。
秋吉
本日はよろしくお願いします。
さっそくですが、任期満了を迎えて今の率直な気持ちを聞かせてください。
舟越
最後まで続けて良かったよ。
任期を全うしたことには意味があるなと思う。
波もあったし、途中でやめたいと思う事は何度もあったけれども、そこでやめたらそれ以上の事は分からなかった。
自分で解決策を見つけることができた。それは地域のためでもあるし、自分の成長にもつながった。
どこにいても壁はあるんだろうけど、そこで投げ出したら自分の成長にもつながらないよね。
3年という期間があったからこそ頑張れたとも思う。とにかくこの期間は頑張ろうと思えた。長いんだけどね。3年って。笑
最初のモヤモヤしている時期に悩んじゃって、「このまま3年続けるのはしんどいな」と、その時期は長く感じたな。
やり方が見えてきたり、「自分のモチベーションをどこに持つか?」が見つかってからはあっという間だったよ。
秋吉
舟越さんのモチベーションは何だったんですか?
舟越
「自分も楽しく暮らしたい」かな!笑
もちろん「地域のために何かしたい!」という大前提はあるんだけど、自分も楽しまないともたないなと思った。
自分も楽しいし、周りも楽しいことをやりたいと思えるようになったかな。
やっている人が活き活きしていないと周りもついてこないしね。
自分も無意識に開かれた人に近寄るようになってたなぁ。
いくら地域のキーマンと言われている人でも有名な人でも、閉じている人に無理して近寄ろうとは思わなかった。
それよりも、普通の人でも自分を受け入れてくれる人や面白がってくれる人とだけつき合うようになっていた。
団体とか組織とつき合うわけじゃなくて、個人としてつき合う感じだよね。
なんでもない人に助けられたことが多かったな。
秋吉
地域おこし協力隊になった理由ってなんだったんですか。
舟越
西日本への移住を考え始めたのがきっかけだね。
仕事の昼休みにふるさと回帰支援センターに相談しに行ったんだ。
「移住って、みんなどういうスタートを切るんですか?」って、
そしたらたまたま担当者が「地域おこし協力隊って知ってる?」と言ってくれたの。
全然知らなかったし、正直ピンとこなかったんだけど、「若者が地域で頑張ってるよ」という担当者の言葉に興味が湧いてきたんだよね。
当初は香川に永住ではなく、西日本に拠点を動かすきっかけの1つで、まずは香川に行こうという感覚だったなぁ。
次は別の場所に、と考えていたよね。それは面接の時もちゃんと伝えたよ。笑
秋吉
任期後もさぬき市にお住まいになると伺ってます。さぬき市に住もうと思えたのはどうしてですか?
舟越
自分のライフプランが変わったことが大きな理由かな。農業もやってるしね。
あとは、住んでいる間に良い人脈も良い友達もできたし、もともとのつながりも切れるわけでもないしね。
「結局どこでもいいんだ」と思えてきたんだ。
「どこに住む?」と考えるよりも、「自分がどうやって環境を整備していくか」が大事。
「誰かが整備してくれるものではない」と分かったなぁ。
自分で住みやすくも出来るし、住みにくくもできる。
自分の在り方はどこにいても一緒。
そういう意味ではたぶん全国どこでも楽しく暮らせると思う。
秋吉
少し話は変わりますが、行政とのやり取りにおいて、課題とか苦労したことはありましたか?
舟越
民間しか知らなかったから、温度差・スピード感の違いが理解できなかったな。
前職では自由な社風の会社にいたので、学生の雰囲気と似ていて、「やりたいことはみんなで力を合わせてやる」という感じだったから余計にそう感じたな。それが社会だと思っていたからね。
それとの違いの大きさにビックリしたなぁ。スピード感の違いの理由も分からなかったし。
自分の担当以外もそうだったから、行政っていう時間があるんだなと分かってきたよ。
その溝の大きさに最初はイライラしたよね。笑
秋吉
イライラしたんですね。笑
舟越
活動当初は何でも自分の提案をやらせてもらえるものと思っていたんだよね。
「なんかやんなきゃ」と思ってたし。
だけど、提案しても「ちょっと待って」と言われてなかなか進まなかったなぁ。
良いアイディアを思いつきはするけど、実現する方法が分からなかったから、そこの相談にのってもらいたかったんだけど、
「そうですね。がんばって。」と言われるだけで、「どうやったら実現できるか」という具体的なアドバイスはもらえなかった。
その時に、「1人でやんなきゃいけないのか」と思ったよね。
行政というチームでやるのではなく、個人でやるのか。しかも0から10まで全部。
何からやっていいか分からなかったなぁ。どうしたらいいんだろう。と思った。
すぐに答えが返ってこないのも困ったなぁ
何を提案しても「上と協議してから・・・」と言われちゃって、、
「キョウギ?何それ?」って感じだったもんね。笑
当時一緒に地域おこし協力隊に入った女性は思った事をバリバリ言う方で、
「いつまでにできますか?」「ビジョンはあるんですか?」とかね。
それに対して行政からすぐに言葉が返ってこないから、さらにイライラしてたな。聞いた事に何も返ってこない!って。
行政も扱い方が分からなかったんだと思う。
秋吉
そうした状況をどうやって乗り越えたんですか?
舟越
行政の人を頼っても解決しないと分かったから、直接地域の方に声をかけて聞いて回ったの。
どういう人がいて、どんなものを作っていて、どんなものを売り出したいのか?とかね。
早朝の青果市場にお邪魔させていただいて、仲買人や生産者に声をかけまくったりもしたなぁ。笑
そしたら、その熱意とか行動力とかを見て、社長が面白がってくれて、良い関係を築けるようになったんだよね。
今でもずっと良い付き合いをさせてもらってるよ。
最初にマルシェをやろうとしたときも「前例がない」「公平性に欠ける」で、前に進まなかったなぁ。
「じゃあどうしたら良いですか?」と聞いても、行政から具体的な回答はなかった。
最終的にはお金の移動が無くて、生産者さんから不平不満が出ない仕組みを自分で考えたよね。
もう少し協力的に抜け道を行政に考えてもらいたかった。そういうところは行政の役割なんじゃないのかなぁとも思う。
そんなこともあったから、自分で考え抜くことが大切だと思ったかな。
言葉数も少ないし、何を考えているかが分からなかった。自分が動くしかないなぁっと。
行政って担当者の性格による部分が大きいなぁと感じたよね。
民間では社風や部署の雰囲気で悩むということはあるけど、3年で人事異動はあまりない。
協力隊はこの行政体制に左右されるところが難しいよね。
秋吉
ずっとそんな状態だったんですか?
舟越
2年目から体制が変わって、行政の方とも仲良くなれたんだよね。
本当にぐっと親密になれたのは、地域の方とのもめ事があってからかな。
地域の方から色々と言われて、よその人に対する冷たさを感じて、とてもしんどかったんだよね。
最初は担当者も深刻ではなかったけど、、、「私は真剣に悩んでます。さぬき市も香川も嫌いになりそうです。」
と何度も伝えたら、やっと「こんなに辛い想いをさせていたのか」と気付いてもらえた。
そこから「協力隊」ではなくて「人」として近い存在になれたと感じたかな。
何かを一緒に経験しないと成長しないよね。最初からワイワイ仲良しっていうのは逆にないんだろうね。
秋吉
逆のパターンもありえますよね。馬が合っている担当者が異動になってしまうとか。
そうなってくると、やはり行政ではなく、地域の方に協力隊のことを自分事だと考えてもらって、上手な関係を作るということが大切になってくるんでしょうか?
舟越
そうだね。東かがわ市の東かがわ活勢隊なんかは分かりやすいよね。
元気な団体さんと協力隊とが一緒になって、さらに活発化する。ああいうのは理想かな。
行政はそれをサポートする役割だよね。
団体に所属していない協力隊でも、地域が決まっていればそうした動きはとりやすいけど、「地域が決まっていないけど、5万人都市を活性化させてくれ!」って言われてもしんどいよね。
さぬき市の次の協力隊は地域が決まっているけど、地域の方が自分事として協力隊を捉えてくれているといいなぁ。
未だに協力隊が何でも屋だと思っている地域の方もいるからなぁ。
「こっちの地域もやってください。」というお願いがきちゃうんだよね。
さぬき市はまだまだ協力隊が浸透していないと思うな。私が関われた人くらいかな。
もっと協力隊が浸透して、活動しやすい土壌づくりができると良いよね。
秋吉
これから地域おこし協力隊を志す方にアドバイスはありますか?
舟越
生活も仕事のやり方もがらっと変わる。
自分の経験は武器になるし、活かした方がいいんだけど、それだけに固執せずに新しいパターンを発見できる柔軟性は必要かなと思う。
やり方が決まって無い分、考えられないと大変。与えられる仕事ではないからね。
考えることを楽しむことができる人は向いていると思う。
あとは、移住の入り口としてはオススメだね。
普通の移住と人脈の広がり方が違うし。
人と接するのが嫌じゃない、自分の意見も言える、なおかつ人の言葉も聞ける人が好ましいよね。
秋吉
今後、舟越さんはどんな事をされるんですか?
舟越
相手もよし、自分もよしな時間が続いていけば良いなと思うよ。どっちかではなくてね。
引き続き、フットワーク軽く、世界中とつながるスタイルは変わらないと思う。
海外にも行きたいしね。
自分の周りに「人が集まってくれたらいいなぁ」と思ってるからそうした場所づくりもしたいな。
次に住む家がとても広いから、加工場とか飲食スペースも作って、みんなが集える場所にしたい。
またピザ窯も作ろうと思ってるよ!ミカタの野菜もたくさんの人に食べてもらいたいしね。
秋吉
農家さんとしての屋号「ミカタ」にはどんな想いがあるんですか?
舟越
世界のミカタ、視点、考え方って意味が一番大きいかな。
無農薬野菜を作って食べるって言う事自体が、世界のミカタ、考え方そのものなんだよね。
農薬肥料を使わずに作ったものを食べる。食べるもので、身体、性格、人生ができる。
農業って、農業だけじゃない。それに関わると色んなことが見えてくるんだよね。
環境とか食とか。
野菜を作って売って金儲けしたいわけじゃなくて、そうした世界の見方・視点を提案したいと思ってる。
最初は「自分たちの食べるものくらいはつくりたいよね」から始まって、それでも経済活動はする必要があるから、みんなの分もつくって、ミカタの視点を提案していこうと思ったんだよね。
これからも食べ物や生活に関わること色々と提案していきたいな。
秋吉
凄いですね!ぜひご自宅は協力隊が集う場にしてほしいです!協力隊のお母さん的な存在になって欲しい!笑
舟越
「ご飯食べにおいで~!」って?笑
ちなみに協力隊OBとしては、サポート人ネットワークにも申請する予定。
サポ人として協力隊の経験を後輩協力隊に還元できたらいいなと思ってる。
総務省からも事例報告の申し入れもあったんだけど、出産のこともあったのでお断りせざるを得なかった。
今後はこうした機会も捉えて自分の経験を活かしていきたいなぁ。
自分のモチベーション維持のためにも誰かに伝えるということはとても大事だと思ってるからね。
「子どもを抱っこしながらでも仕事ができる!」というメッセージも発信したいしね。
秋吉
ありがとうございました!
舟越
最後に、協力隊のみんなには「なにかあったらいつでも相談にのります!」と伝えておいてください。
秋吉
分かりました!必ず伝えます!
退任直前で想いを語ってくれた舟越さん。
今後はご自身のご経験をこれからの協力隊のために還元したい話します。
現役協力隊としての職務は終えますが、今後も協力隊OGとして香川県の地域おこしにご協力いただけるのはとっても心強いです。
舟越さん、3年間、本当にお疲れ様でした。