香川県地域おこし協力隊コーディネーターの秋吉です。
「私達の本気宣言」は香川県内の地域おこし協力隊及び地域おこし協力隊に関わる人たちの本気をお伝えする企画です。
今回は稲子さんが活躍中の豊島へ。
豊島の豊かな暮らしを未来につなげるために活動する稲子さんの本気を取材しました。
秋吉
本日はよろしくお願い致します。
まずは稲子さんの活動内容を教えてください。
稲子
大きな3年間の活動の目標としては、豊島の自然を活かした循環型の暮らしができる島づくりです。
そういう暮らしを私自身もしたいし、これまで豊島住民の方もそうした暮らしをしてきたから、それを見直そうという活動をしてます。
具体的には今年度は「豊島の豊かな暮らしプロジェクト」を立ち上げていて、休耕地を活用して藍や綿花、大豆を育てたりしています。
収穫できた物で染め物をしたり、糸を紡いだり、みそをつくったり、生活に必要な衣食住を自給できるような活動をこれから広めていきたいと思っています。
まだ始めたばかりで仲間も少ないんですが、来年度以降も継続して行って、徐々に広めていきたいと思っています。
また、今年の瀬戸内国際芸術は「食とアート」がテーマなので、食プロジェクトにも携わっています。
豊島は元々食事をする所が少ないのですが、豊島のおいしい食で豊島の魅力を伝えたいと思い、週末にイルヴェントというアート作品のキッチンをお借りして食事とドリンクを提供しています。
今年度は「暮らし」と「食」のプロジェクト、2本柱で活動しています。
秋吉
なるほど。
稲子さんは常々、循環型の暮らしを実現したいとおっしゃってますが、どうして循環型の暮らしにこだわりを持っているんですか?
なにかきっかけがあれば教えてください。
稲子
きっかけはやっぱり東日本大震災ですね。
それまでもエコな暮らし、オーガニックな暮らしに興味はあったんです。
元々、食にも関心があって、20代は海外のレストランで働いていました。
特に、ニュージーランドで働いた時はベジタリアンの方に出逢ったり、現地の方の食へのこだわりに触れることで徐々に自分自身にも食や環境に対する意識が芽生えていったんです。
3.11が起きた時は、地元埼玉のカフェで働いていたのですが、計画停電の影響で一時的に営業できなくなってしまったんですよね。
冷蔵庫も止まってしまうから食べ物の保存ができない状態だったんです。
コンビニから水が無くなって、ガソリンスタンドからはガソリンが無くなりましたよね。
その時に、いかに食べ物やエネルギーを外に依存していたかが分かったんです。
「いざとなったら何にも無いんだ」と思うようになりました。
自分の今まで当たり前だと思っていた暮らしを変えていかないと、とんでもないことになるなと思ったんです。
今までと同じ暮らしをしていたら、また同じ様な事態になった時に同じ事の繰り返し。
何も学ばない事になるなと思ったんです。
だから、食べ物とエネルギーを自給できるようになりたいと思うようになりました。
お金がたくさんあってもいざという時に役に立たないなぁと。
あの時、お金が全てじゃないと気がついたんですよね。
秋吉
確かに計画停電の時は大変でしたね。
どうして豊島で循環型の暮らしに挑戦したいと思ったのですか。
稲子
産廃問題の事は後から知ったんですが、島の方が自然を大事にする暮らしをしていることに気付けたんです。
あとは食べ物が豊かなんですよ。
お米もお野菜も果物も魚も穫れる。海苔もつくってるし。
「もう、これは理想郷だな」と思いましたね。
島の民泊を利用させてもらった時も食卓の上はほとんど豊島の食材。
自給率凄いなぁと思いましたね。
そういう暮らしって、都会にいるよりも豊かだなぁと思うんです。
秋吉
元々エコの土壌がある地域だったわけですね。
豊島の豊かな暮らしについて、今一度見つめ直すという意識を広めようということですか。
稲子
そうですね。豊島のみなさんに拡げていけたらと思っています。
いきなり町としてのエネルギーの方針を変えるみたいなことは難しいので、「自分たちの出来ることから始めませんか」という感覚です。
広め方については悩みながら少しずつ進めています。
まずは自分が循環型の暮らしを体現する必要があると思うので、自分自身がエコな暮らしを実践していってる感じですね。
先ずは自分からですね。
できることから少しずつやってます。
移住してきた方はそうした事に関心が高い人は多いですね。
食べ物をつくるにしても、農薬を使わずに安全な物を作っている人はいるし、電力についても「将来は自給したいね」と話し合える仲間はいます。
ただ、それをどのように実現するかまでの道筋はまだ見えていない部分はありますね。
秋吉
昨年から仲間づくりが課題とおっしゃられてましたよね。
1年前と今とで、変化はありましたか。
稲子
去年度はしんどかったよねぇ。
正直、本当に孤立してるなぁと思いました。
「応援してる」と声をかけてくれる人はいらっしゃるんですけど、具体的に一緒に活動してくれる人は少なかった。
公民館だよりやFacebookを使って「一緒にやりましょう」と呼びかけても、なかなか集まらなかったですね。
活動当初行っていた意見交換会も人の集まりが悪くなってきたので、今はやっていません。
その代わり、暮らしプロジェクトに集中できているし、畑仕事をした後に島民とお話する機会を作ることができているので、結果的に良かったかなと思っています。
「ガチでお話しましょう!」という感じはなくて、「畑仕事しながらお話しませんか?」という感じなので、来やすいのかなと思います。
それを一緒に体験しながらの方が私が目指すものを共有しやすいのかなとも思いますね。
そんなこともあって本当に少しずつ仲間が増えてきている、、かな?って感じです。
でも、仲間は数じゃないとも思えるようになりました。
自分の方向性と同じ人が2、3人でもいるだけでいいんだ、と。
これは協力隊OGの舟越さんにも言われた事なんですけどね。
地域おこしっていうと「地域の人を巻込まなきゃ」と思って悩む事もあったけど、今は気にせず、自分のやるべきことをやるだけだなと思ってます。
秋吉
1年前は本当に色々と大変でした。
協力隊同士でかなり励まし合ったりもしましたね。
稲子
そうそう、フッチー(高松市地域おこし協力隊)とか多賀ちゃん(東かがわ市地域おこし協力隊)としょっちゅう励まし合ってたね。
お互いのFacebookを見て刺激し合ってたし。
傷の舐め合いでしたね。笑
でも本当に仲間がいなかったらやって来れなかったと思うなぁ。
秋吉
1年間で、行政の方とのコミュニケーションについては、変化はありますか。
稲子
土庄町の担当者はみなさん話しやすいので、最初からコミュニケーションについては問題は無かったですね。
行政VS協力隊になっている地域があるとよく聞くけど、それはないなぁ、と思ってました。
まぁ、最初のころは町と地域の方向性が定まってなくて、私に対して何を求めているかが分からなかったんです。
言ってる事がバラバラだったので「自由にやっていいの?それとも何かしてほしいの?」っていう感じでした。
そんなこともあって1年目は仕事の軸を決めることができなかった。
でも、2年目になってようやく自分の中で仕事の軸を決めることができたんです。
当初から思い描いていた「循環型の暮らしを広めたい」という気持ちを実現しようと思いました。
色々と振り回されましたが、最後は自分で決めるしかないという感じでしたね。
1年目からこうした軸を決めたかったなぁという思いもあるんですが、土庄町も初めての協力隊だったし、私も協力隊についてよく分かっていなかった部分もあるので、お互いにとっての試行錯誤時間だったんだなぁと割り切っています。
軸が決まってからは、色々と言われようが私はこれでいきますとしっかりと言えるようになりました。
ただ、地域の人の言葉を何も聞かないというわけではなくて、節目節目で地域の人からのご意見もいただきながら進めたいと思っています。
秋吉
活動の軸を決めるということは、他の事をしないという勇気のある決断だと思います。
どうして軸を決めることができたんですか。
稲子
豊島の豊かな暮らしプロジェクトは自分のやりたいことであると同時に、豊島の人が昔からやってきたことなんですよね。
それと、休耕地がたくさんあって困っているという意見もいただいたので、これは地域の人が望んでいる事と自分のやりたい事が合致するものなんじゃないかなと思ったんです。
自分がやりたい事だけをやるのではダメだし、自分がやりたくないのに地域の人に言われたからやるというのもダメなんですよね。
それだと心が折れる。「こんな事をやりにきたんじゃない」と。
だから、その辺のバランスが取れる所を見つけるって感じでした。
1年目はなかなかそれを見つけるのが難しいんですよ。
軸を見つけるためには地域を知らなくちゃいけない。
そのためには色んな所に顔を出すし、呼ばれたらとりあえず行く。
それは信頼関係を築くためにも必要なんですよね。
だから、最初から軸を決めることはしなくていい思います。
逆にフッチーは「軸を決めない」っていう軸を決めましたよね。
地域の困りごとは何でも全力でやる!って感じで。
あれはあれで凄いですよね。
私は自分のやりたいことでないと力がでないので、食とか農とか環境に絞っていった感じです。
秋吉
地域を知った上で自分の想いと重なる部分を軸にされていたんですね。
最後に稲子さんの目標を教えてください。
稲子
環境に優しい暮らしを体験できる場所を作りたいんです。
豊島のどこかに。
アースバックとかストローベイルっていうんですが、藁とか土を使って建物を建てることができるんです。
それを豊島でやりたいですね。
みんなでそうした建物をつくって、そこでワークショプが出来たり、収穫した食材を食べたり、人が集える場所にしたいですね。
自給自足を体験できるような場所であると同時に、エネルギーも全部自分たちでつくるっていう、食とエネルギー自給率100%を目指したいです。
これは自分自身の夢でもあって、協力隊の期間中にできなくても5年以内にはやりたいんです。
それは協力隊になる前から考えていた事なので、それを形にしたいですね。
それまで頑張ります。
秋吉
自給率100%ですか!すごい!
絶対遊びにいきます!
稲子さん、本日はありがとございました!
稲子
ありがとうございました。
地域を未来につなげるために食と環境に注目する稲子さん。
自身の夢と島の未来が重なる所に本気で挑戦する姿はとっても素敵でした。
☆稲子 恵(地域おこし協力隊@土庄町豊島)
埼玉県内の小学校で特殊介助員、教員補助員として勤務後、ワーキングホリデーを利用して、オーストラリア、カナダ、ニュージーランドに滞在。
現地のホテルやレストランに勤務。
帰国後、オーガニックカフェに4年間勤務。