今回は任期3年目の坂出市地域おこし協力隊、杉山さんにインタビュー。海外で過ごした20代を経て、坂出市に移住した経緯や実際の活動内容、坂出市初の地域おこし協力隊としての苦労などについてお話を伺いました。
―本日は宜しくお願いします。まずは協力隊着任前の経歴について教えてください。
埼玉県出身で、大卒後、ハウスメーカーの営業で1年働いた後に、ワーキングホリデーでカナダのトロントに1年半滞在していました。その後は、中南米をバックパッカーで旅したり、フィリピンやオーストラリアで1年ほど滞在したりと、20代前半は海外で過ごすことが多かったです。
そのような経験から留学に関する仕事がしたいと思い、帰国後は大阪にある留学の代理店に就職して5年ほど働いていました。
―今のお話を聞いていると、香川県や地域おこし協力隊とは無縁ですが、そういった中でなぜ地方移住をしようと思ったのでしょうか?
きっかけは子育てですね。当時はマンション住まいだったので、子供が騒いで、近隣住民の迷惑にならないよう気をつけていましたが、そういった押しつけの教育はしたくないと思うようになりました。
また、コロナ禍で留学関係の仕事が激減するという経験をして、人生何があるかわからないし、思い切って環境を変えたいという気持ちがありました。そういったことが重なって地方移住を考え始めました。
地域おこし協力隊については、移住を検討する中で参加した愛媛県の移住フェアで対応してくれた方が協力隊の方で、そこで初めて「地域おこし協力隊」という制度を知りました。
生活環境を思い切って変えて、新しいことに挑戦している協力隊の方々に惹かれ、協力隊の募集を調べるようになりました。
―当時から愛媛県にも協力隊の募集はあったと思いますが、最終的に坂出市の協力隊になったのはどういう経緯ですか?
私は観光に関する協力隊になりたいと思っていたのですが、当時愛媛県の協力隊で観光に関する募集がなかったんです。妻が直島でリゾートバイトをした経験があり瀬戸内海沿岸にいい印象を持っていたことや、私が埼玉で妻が奈良の出身(ともに海に面していない県)で、海の近いところで子育てしたいなという気持ちがお互いにあったので、愛媛と香川で協力隊を探していました。その中でちょうど坂出市で観光ミッションの募集があったので、応募したという経緯です。
―観光のミッションを希望していたのは過去に世界各国を回られた経験があったからですか?
そうですね。日本に来る外国人をおもてなししたいという思いがありました。
自分自身、旅行先で現地の人にたくさん助けてもらい、彼らのおかげで海外旅行を楽しむことができました。恩返しではないですが、今度は自分が日本に来る外国人旅行客の方をサポートする番だと思い、観光のミッションを希望しました。
―そうすると坂出市が良かったというより瀬戸内海と観光というその二つがマッチしたということですね。
そうですね、正直協力隊になる前は坂出市の名前も知らなかったですね(笑)
―協力隊になると、杉山さんの年代であれば一般的に給料は下がると思います。また 3年後どうするのかというところで将来が不安定という面もあると思います。ご家族がいる中で、どのような理由で協力隊に踏み出そうと思えたのでしょうか?
最初は協力隊が 最大3年間ということもあったので、お試しで1回行ってみようかっていう感覚でした。私も妻も旅人だったので、何とかなるだろうっていうようなちょっと楽観的に考えた部分もあり、移住に対してあまりハードルを高く感じていませんでした。もし移住してみて3 年間できなかったとしても、また帰ってくればいいやくらいに考えていました。
―では実際の活動内容について教えてください。
1年目に関してはまず「認知」ということをテーマにしていました。私が坂出市として初めての協力隊なので、まず地元の人に協力隊がどういうものかというのを知ってもらうということを重視しました。
また自分としても地域を知るということが大事だなと思ったので、この二つの意味での「認知」を意識していました。さぬき市の協力隊だった折原さんに着任当初に何をしたのかを聞いた時に、まずは「その地域を知ること」を1年目にやったと教えていただいたので、自分もそれをまずやろうと思いました。
―具体的にはどのような活動をして認知をしてもらっていたのでしょうか?
とにかく外に出ていました。イベントがあるごとに顔を出して地元の人に顔を売ったりとか、観光業とは関係ない市内の事業者の方に会いに行ったりしました。自分から商店街の集まりとか、商工会議所の集まりとかに顔を出したりして関係性作りをしていきました。
―2年目はどういう活動をしていたのでしょうか?
2年目はその関係性を軸に実際の活動をしていきました。その中で軸にやっていたのは街歩きの企画や台湾の学生向けの教育旅行の組織作りですね。
―街歩きはどういったイベントですか?
坂出市にある島を歩くイベントです。瀬戸大橋がかかっている島ですね。私は海とか島に対しての魅力を感じていたので。ただ現状は、なかなか観光で行きにくい場所でもあったので、行くキッカケを作りたいと思い、島での街歩きを企画しました。その中でお客様に、一方的にレクチャーするイベントではつまらないと思っていて。やっぱり旅行するからには現地の人との触れ合いや交流こそが思い出になるっていうのは、自分も海外の旅を経験して感じた部分だったので、そこをずっと大事にしていました。
―そのような内容だと、地元の方との調整が大変そうですね。
そこに関しては1年目で作った関係性があったからそれができたと思います。
(島歩きイベントでの様子)
―3年目で取り組んでいるメインの活動はどういったものでしょうか?
坂出市内の純喫茶をめぐるスタンプラリーを企画しました。これは2年目の後半から企画していたイベントです。坂出市は、交通の便がいい反面、観光客の滞在時間が短い傾向にあり、滞在時間をいかに伸ばすかが大きな課題だと認識しております。そこで、「かがわごと」(香川県内の協力隊経験者による団体)の臼井さんにもご協力いただきながら、市内の純喫茶を巡るスタンプラリーを考えました。
その他、いま取り組んでいることとしては、観光動画の作成です。季節ごとの動画を取りまとめていて、最終的には坂出市のYouTube チャンネルの中で公開する予定です。
また、退任後は宿泊の仕事で起業したいと考えているので、今年坂出市と空き家の利活用に関する協定を結んだ「空き家地方創生株式会社」の空き家を宿泊施設にする事業のお手伝いをしています。
―活動をしている中で嬉しかったことや印象に残っている出来事や言葉はありますか?
一つは、人脈が広がったことです。大阪の時は基本的に職場と自宅の行き来だけで、異なる業種の方に合うきっかけがほとんどなかったですが、協力隊になってから活動を通じて、本当にいろんな方との出会いがありました。そこは坂出に来て良かったところですし、協力隊だからこそ、そういった地域の方々と繋がれたと思います。
あとは、今回のスタンプラリーの企画で、いろんな方から「あの企画良かったね。」というふうに褒めていただいたことが嬉しかったです。
また、協力隊としてというよりかは住民としてですが、自分が住んでいるところで地域に関わる行事を頼まれることが増えてきたことは嬉しいですね。
プライベートでも近所の方によく野菜のおすそ分けをもらったりします。
最初は溶け込めるか心配でしたが、みなさんとても優しくて。いい意味でおせっかいだけど私としてはとても嬉しかったですね。都会では同じマンションの人すら知らないという状況だったので。子供もいるからより気にかけてくれるという部分もあると思いますが、四国ならではのお接待文化もあり、そういった人の温かさに触れることが本当に多いので、香川に来てよかったなと感じています。
―反対に協力隊になる前に抱いていたイメージとのギャップや、大変だったことはありますか?
民間と行政の仕事のやり方が全然違うというのは大変でした。企画を練るとかそれを実行していく時のスピードの速さが違いました。以前働いていた職場は自由が効くというか、何かやりたいことがあったとき、社長の許可が得られればすぐに実行できた部分がありましたが、行政だとまずはお伺いを立てて、課長に持っていくっていうという流れがしっかりとしていて、企画にするにも準備期間がとても重要だなと感じました。
あとは何かを企画するにも、自分がやりたいことをだけじゃなくて市が課題として感じていることを把握したうえで企画するということは意識していました。
―活動を通して、こういう部分成長したなということはありますか?
SNSを使った情報発信だったり、イベント等のチラシを作ったりだとかは協力隊になってから始めたことなので、そこは成長に繋がったかなと思います。
あとはSNSでの情報発信の中で動画編集とかドローンを使った撮影のスキルも成長した部分ですね。
あと、生活面ですが、助け合いの大事さを改めて感じました。私の住んでいる地域が高齢者の方が多い地域なので若いというだけで必要とされるということがあって。また地元の方に面倒見てもらうことも多いので、逆に何か自分もというか恩返ししたいという思いが強くなりました。
―坂出市のいいところはどのようなところですか?
一つは、程よい田舎ということですね。もう一つ、交通の面がすごくいいというのは坂出市の強みだなと思います。瀬戸大橋の存在がすごく大きいですね。橋を渡ればすぐ本州に行けますし、それが電車でも行けるという部分は強みですね。実家の埼玉に帰る時も電車、車、飛行機どれでも行けるので。また坂出市は香川県の中央なので、県内へのアクセスがいいです。
そういった意味で都会に住んでいた人でもそこまで変わらない環境で生活できるかなと思います。
あと里山がとても多いところです。里山を見ると安心する感じがあるので、そこも好きなところですね。
また坂出市は、昔の讃岐国の中心だったこともあって面白い歴史がいっぱいあると思います。崇徳上皇とか菅原道真も坂出と関係していて、日本三大怨霊の内二人が坂出に関係しているのは面白いなと思いますね。
その他、伊能忠敬より早く日本地図の測量に関わった、久米通賢という平賀源内に匹敵するぐらいの有名人もいて。久米通賢は自費で塩田を作るなど、現在の坂出の基礎を作ったといえるような人です。そういった面白い歴史が眠っているところも魅力の一つだと思います。
―退任後の活動の予定はありますか?
一つは、先ほどお話した、空き家を宿泊施設にするという事業に引き続き従事できればと思います。宿泊施設作りやその施設の管理運用を一つの仕事にしていきたいです。そのうえで宿泊施設運営の経験を積むことができたら、いずれは自分自身で宿を経営したいという気持ちもあります。
また総合旅行業務取扱管理者の資格を取得して、自分自身で坂出や香川の観光ツアーを企画したいと考えています。坂出市は旅行会社がないので、自分自身がツアーを企画していくことを仕事にできればと考えています。
―今後の予定をお聞きすると、今後も坂出に住んで香川県に関係した仕事をしていこうという方向性になっていると思います。そう思えたきっかけを教えてください。
やっぱり坂出市の居心地がいいからだと思います。坂出でできた人とのつながりや、お付き合いに満足しているという部分が一番かなと思います。大阪にいたときは、今ほどの人との繋がりはなかったですが、ここには自分たちのことを気にかけてくれる人たちがいます。そういった環境は安心感がありますし、そういった環境で生活したいなと思っています。正直仕事について心配な部分はありますが、今までのお付き合いの中で何とかなるという感覚もあるし、就職するという考え方もあります。香川県はそんなにストレスのないところだし、子育てする上でもとてもいい環境だと思います。まずはそういう場所や、そういう人たちとのつながりの中で生活するということが大前提だと思えるようになりました。
―協力隊を検討している人へのアドバイスということで、協力隊を探す上と、協力隊として活動していく上でのアドバイスはありますか?
探す上では二つあります。まずは、下見に行くのが一番大事かなと思っています。業務の内容も大事ですが、どういう街なのかというのは実際に行ってみないと分からないので。最初は観光でもいいので、一回見に来るというのは 大事かなと思います。またその際に農家民宿などに泊まると、地元の方から地域のことを聞けたり、地域の方との接点ができるのでお勧めですね。
二つ目は、その時に先輩移住者とか、現役の協力隊の人に会って話を聞けるのが大事かなと思います。地元の人に、「どういう街ですか?」と聞いても、それがもう日常になってしまっているから、「いいところが何もないところだよ」という返答が多いですが、移住者だと外から見た意見をもらえることが多いですし、移住した後のことを考えると、そういった方と少しでも関係性ができれば頼れる人がいるという安心感にもつながるので。あと、それに関係することですが、協力隊の受け入れ実績がある自治体の方が苦労は少ないかなと思います。私自身は坂出市初の協力隊で、苦労した部分はあったので、身近で気軽に相談できる相手がいるというのは大きいと思います。
活動していく上では、協力隊になった早いタイミングで研修を受けるなどして、行政の物事の進め方を理解することが大事だと思います。私の場合それを理解したのが 1 年目の後半だったので何か企画をやりたいと思っても予算を組むタイミングやスケジュールがあるので。特に民間企業から協力隊になる場合は、着任してなるべく早いうちに流れを理解するよう努力した方がいいかなと思います。
あとは可能だったら 1 年目の段階から、卒業後の進路について考えた方がいいかなと思います。起業を考えていたら、そのための準備も踏まえて行動する必要があるので。私は行き当たりばったりで、実際に3年目になった段階でどうするか慌ててしまったので、そうならないためにも、3年経った時にどんなことしたいのか先を見据えて行動した方がいいかなと思います。